「死ぬ気」が「死ぬ気」じゃない件

今ビジネスを教わっている師匠のブログと、
その派生の同じスクール生の感想のやり取り。

リアルタイムで確認しまくっているのに反応を表せない自分が、
アホでガキでウザい。

全てを200%自分事で捉えてグサグサきてるのに、動けない自分がマジウザい。


ハリボテでいいから自信を持つ、とか、
実際言葉ほどでもないのに「死ぬ気でやる」とか言うだけ言ってみる、とか、
そういう見かけ倒しになるのを忌み嫌って、
大人になってから、内面をひたすら覗いて整えることばかり考えてきた。

今の師匠に師事するようになってから、
素直にえぐられる言葉の数々に紛れて、時々納得のいかないことが登場する。

これが
19. 納得のいかないことにフォーカスせよ
なんだなーと思う。

ハリボテの自分を信じ切る、なんて、
自分の脳内メモリには「ハ」の字もなかった。
1年前の私なら、
「ハリボテの自分を信じ切ればいいんだよ!」→「それ、どうやって信じるの?」
なんて、
アホな、交わらない会話しかできなかっただろう。


話を戻して、スクールチャット内のやり取り。

でも注意してほしいのが、挑戦をやめない選択をし続けると人生の幸福度が人によって下がる可能性もあるということです。
達成感得て満足する自分を否定することになるので。
この辺は難しいですよね、それぞれの人生観かなと。

これ、私これだとずっと思ってきた。
実際はどうなんだろう。

師匠の表現が、すんなり入ってこないことが結構ある。
みんながグサッてきてるらしいところで、咀嚼できないことが、たぶん1/3くらい、ある。

えぐられるときはすごいえぐられる。

19. 納得のいかないことにフォーカスせよ
まさに、きっとこれ。

私はどっちなんだろう、分からない。
どうして分からないのかというと、分かるまでやってみてないからだと思った。

以前「私こっちの人だ」ということになったときは、人の尺度で挑戦内容が決まっていた。
その、他人が決めたことを挑戦し続けて、得た満足感はニセモノで、最後は何もできなくなった。

今はどう?
私は自分の尺で決めたことを選んでる?

もう一度深堀りするべきなのは、この部分なのかもしれない。

The following two tabs change content below.

手のりサイズのケイティ♪

東京在住。会社員生活が苦手なサラリーマンです。 ブログを通して目指していることは、自分軸で思ったこと、感じたこと、学んだことを表現することで、自分を解放していくこと。 その先に、私の経験がどなたかの役に立つといいなと願いながら、発信を続けていきたいと思います。 詳しいプロフィールはこちら